伝えたい「蔵」の記憶(43)城山・材木町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.7.1
まなぼっと幣舞10階展望室から見た、大きく蛇行する釧路川、久寿里橋、旭橋、鉄橋、整備された河畔と釧路川左岸には、高層マンションと住宅街の城山、河畔に空き地が目立つ街並みの材木町の様子です。往時には茂尻矢と呼ばれ、釧路川上流から運ばれた木材の集散地でマッチの軸木と製材工場が並び職人の長屋が密集し釧路の木材産業を支える町でした。
明治43年の地図には釧路川河畔にマッチの軸を製造する茅野製軸所が掲載され、昭和7年の地図には茅野製軸所と須藤鉄工場、江端製蹄所、中屋鋸屋などの木材関連の工場が軒を並べています。茂尻矢から材木町、城山に町名改正になり、木材の輸送も釧路川から鉄道に変わり、戦後のトラック輸送時代を迎えますが、活況にあふれる木材の街の記憶を伝えています。
今は整備された河畔公園ですが、昭和8年に幣舞橋上流の市街地を結ぶ橋が完成し、釧路の旧地名久寿里を橋に命名して先人の記憶を伝え、昭和12年には釧路川左岸に釧路臨港鉄道が城山駅と東釧路駅を開業しました。城山駅から春採を経由して入舟駅までの臨港鉄道などは、釧路市民に残る茂尻矢の記憶です。
戦後の昭和29年の台風15号(洞爺丸台風)の時には、風倒木の処理が釧路で行われ、城山、材木町の釧路川河畔には各地から集められた大量の風倒木が山のように積まれ、材木町の町名を語る光景が見られました。今では木材の筏(いかだ)、臨港鉄道、製材工場、丸太の山は見ることはできませんが、蛇行する釧路川と鉄橋を見ていると、夢と希望にあふれた茂尻矢の先人の記憶がよみがえります。




