伝えたい「蔵」の記憶(462)雄鉄線通の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.11.6
大正12年1月24日の釧路新聞に北海炭砿鉄道株式会社の営業開始広告が掲載され、雄別炭砿と雄別鉄道の歴史が始まります。広告では、雄別炭の炭名、炭質、用途を説明し、「鉄道は釧路駅より雄別駅まで28哩軌条60封度国有線と同型釧路駅に連絡する…」とあるほか、釧路駅・雄別炭山の発着時刻、省線接続などを詳細に伝えています。

雄別鉄道の開設当初の旅客取扱駅は、釧路・平戸前・舌辛・雄別炭山の4駅でした。北海炭砿鉄道(株)は、大正13年三菱鉱業の傘下となり会社名が雄別炭砿鉄道(株)となります。写真は、道道釧路環状線と呼ばれる道道113号線で見られる雄鉄線通のプレートです。
雄別炭砿は、大正12年に雄別鉄道が開通して本格的操業を開始します。出炭量の推移を見ますと昭和16年に66万㌧、同26年58万7千㌧、同39年72万6千㌧、同43年63万8千㌧を記録しています。
雄別鉄道は、雄別炭砿が出炭する大量の石炭を雄別炭山から新釧路、釧路港へ輸送します。雄別鉄道は、阿寒川の蛇行跡が残る時代から戦後の畑の中の江南高校、労災病院、住宅街と愛国地域の街並の変貌を記憶し、石炭輸送だけではなく、通学・通勤、買い物にも使われ、炭砿の人々の生活を支えます。
開業時の4駅が昭和44年には釧路駅から新釧路、中園、雄鉄昭和、北園、鶴野、北斗、山花、桜田、阿寒、古潭、雄別炭山など14駅になりますが、雄別炭砿の閉山により同45年4月15日21時19分雄別炭山着をもって歴史を閉じます。
雄鉄線通のプレートは、雄別炭砿と雄別鉄道の記憶を伝えています。




