その他 蔵の記憶
公開:2026/03/16 更新:2026/04/28

伝えたい「蔵」の記憶(461)古川橋の記憶

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2023.10.23

 阿寒川は、阿寒湖を源として南下して大楽毛で太平洋に注ぐ総延長70㌔㍍の道内3番目の流域面積の二級河川ですが、以前は釧路川の支流で、現在の愛国地域に大きく蛇行しながら釧路川へ合流します。現在の新釧路町付近に河口があり、この地域をアイヌ語で阿寒川の河口を意味する阿寒太(アカンブト)と呼ばれていました。阿寒川は大正9年、大洪水によって大楽毛川に転流し直接、太平洋に流れるようになりますが、転流後も地域にはまだ旧阿寒川(廃川)が残っていました。

 その阿寒太は、昭和7年の字地番改正により古川町と命名されます。命名理由は、「旧名阿寒太と称し東北方アシセツチリ川を隔て釧路村に隣接、北は鳥取村に接し西は旧阿寒川(廃川)を抱擁する。釧路川河岸は雄別炭砿株式会社の貯炭場兼積込場所…釧路川より鳥取村を経て新釧路川に至る間、阿寒川の廃川を利用し幅18㍍余りの運河開削工事中なるを以ってこれが完成の暁は工場用地として利用せらる々に至るべし阿寒川の廃川あるに因み古川町と命く」と釧路郷土史考は記述しています。

今も残る「古川橋」のプレート

 写真は、釧路町から旭立体橋へ通じる川北通の柳町公園のガードレールに取り付けられた「古川橋」プレートです、その他に共栄橋のプレートも見られますがプレートの下には川は流れていません。かつての運河のようです。

 昭和20年頃の古川町の様子は、「古川と言えば登下校時の寄り道の遊び場で、共栄小学校付近の河川の跡(阿寒川の廃川)での、水遊び、魚釣、駅裏から古川橋までが遠をかった」などと小松重和さんが「ふるさと地名めぐり」に記述しています。

 古川橋は、阿寒太、阿寒川の蛇行、廃川、街並の変貌などの記憶を伝えています。

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