伝えたい「蔵」の記憶(459)柳町公園の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.10.9
大正9年8月10日の深夜に釧路川、阿寒川が氾濫して釧路市街は未曾有の大洪水に襲われます。釧路新聞の号外は「橋北の大部分濁流に浸され家屋流失鉄橋木橋危険其の他悲報頻々」と緊迫する街の様子を報道しています。
大洪水を契機に、釧路港への土砂流入を防ぎ且つ流域の氾濫防止と共に1万2千町歩の湿地の乾燥を目的として大正10年6月釧路川治水工事が着工され、昭和6年9月竣工し新釧路川への通水がはじまります。また、同8年には市役所、商工会議所、木材商組合などの団体により木材などの流送を行うため、釧路川と新釧路川を結ぶ幅18㍍20㌢の運河掘削工事が始まります。その後工事は完了せずに終了し、運河と呼ばれていました。

写真は、材木町の丘陵から遠望した釧路川と新釧路川を結ぶ運河の記憶伝える、長さ2.4㌔㍍、幅83㍍の柳町公園です。釧路川から住宅街の中を一直線に走る緑のベルト。労災病院、釧路製作所、遠くに釧路市民文化会館も見えます。
戦後の人口増加、市街地の拡大により、かっての運河は生活用水が流入しヘドロが発生するまで汚染されます。市民の間で運河の浄化を始めとして活用が検討されましたが、都市環境と災害時の避難を想定して埋め立てられ、柳町公園が平成16年完成し、多くの市民が憩う公園となります。
柳町公園は、大正9年の大洪水を契機として湿原の掘削に挑戦して新釧路川を完成させ、さらに釧路川と新釧路川を結ぶ運河の開削にも踏み込むという、新たなマチの夢を託した先人の逞しさの記憶を伝えます。




