伝えたい「蔵」の記憶(455)佐々木牧場
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.8.21
住吉の町は、あちこちで良質の地下水が湧き出て、この湧水を利用して朝日桜や福司の銘酒が生まれます。それより以前の茂尻矢と呼ばれた時代は、マルニ佐々木牧場の牛舎、搾乳所が並び、明治37年頃から市乳販売を開始し、同44年から牛乳を半加工してクリームやバターにして函館方面に出していた牧場の様子を釧路市史が記述しています。

写真は、明治42年7月に発行された釧路の電話番号簿に掲載された「サ之部」です。157番・佐々木寶作・茂尻矢番外地・牛乳搾取業が掲載されています。釧路の電話交換業務の開始は、同年1月1日からで、電話加入者数は290件です。加入者は、真砂町、洲崎町、西幣舞に多く、茂尻矢の加入者は佐々木寶作のほか、5番・釧路製材造船合資会社・茂尻矢番外地(現在の大川町)製材造船業、245番・釧路製軸所・佐藤重吉・茂尻矢(現在の城山町)軸木製造、53番・佐々木煉瓦工場・茂尻矢86─の4カ所です。
当時の茂尻矢は、釧路川沿いに釧路製軸所、釧路製材造船合資会社の木材工場と職人の街並が見られたほか、清水の湧き出る丘陵に囲まれた地域に牛舎と搾乳所が並ぶ佐々木牧場があったのです。佐々木牧場は、釧路の明治・大正の政財界の重鎮佐々木与兵衛が明治35年に庶路に開設し、実弟の佐々木寶作さんが同37年9月から茂尻矢(わがマチの人物地図は、最初は元日向病院あたりで、その後、元朝日酒造の処へ移ると記述しています)で搾乳、市乳の販売を始めます。
佐々木牧場は、人口が急増していく釧路町の郊外茂尻矢の記憶を伝えています。




