伝えたい「蔵」の記憶(453)湧水の記憶と福司
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.7.24
釧路の地酒は、文化年間(今から約220年前)から始まったと言われています。明治23年に発刊された北海立志図録の釧路版に、幣舞町の須田徳右衛門、真砂町の布留川夘之介、浦見町の尾嵜定次郎、米町の酒井惣助らが釧路の酒造業者として掲載されています。黎明期の釧路の街並に酒蔵の看板である杉玉が並び、清水を利用する地酒造りの活況をうかがわせます。
かつてモシリヤと呼ばれ、あちこちで良質の湧水が噴出する、「住みよい街」と言われた住吉町には、幣舞町、真砂町の釧路の地酒醸造を受け継いだ酒蔵─大正8年創業の銘酒七福の二木酒造に続き、二木酒造を受け継ぎ昭和6年創業した朝日桜の朝日酒造と、同じく大正8年創業の福司の敷島商会が釧路の地酒として戦前戦後の混乱期を乗り越え芳醇な味を競っていました。

写真は、モシリヤの湧水と釧路の地酒の記憶を伝える「よいお酒福司」の酒蔵です。モシリヤの湧水は、同じく釧路の地酒を作り出した現在の南大通1丁目付近、8丁目付近の湧水や浦見町のしゃも寅の井戸と「同じ水脈」とわがマチの人物地図に記述されています。
モシリヤの湧水の水脈は、昭和2年鶴ケ岱浄水場が完成するまで西幣舞(現橋北地区)の人々の生活を支えていました。湿地の西幣舞は、飲料に適する水が無く、人々は、幣舞橋を渡り飲み水をくみに行ったり、馬車で売りに来る「水売り」により飲み水を確保していました。
モシリヤの湧水と釧路の地酒記憶を伝える朝日桜の朝日酒造は、昭和45年11月釧路税務署に免許取り消しを申請します。芳醇な酒香の銘酒「福司」がモシリヤの湧水と釧路の地酒の記憶を今も伝えています。




