伝えたい「蔵」の記憶(447)石炭産業安定目指す
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.5.8
石炭産業は、釧路の基幹産業として黎明期の明治時代より釧路の発展を支えています。戦後の復興期では、黒ダイヤと呼ばれ、同様に地域を支えますが、昭和45年2月27日雄別・尺別・上茶路三山が企業ぐるみで閉山します。同11月には太平洋炭砿は機構改革(太平洋興発と太平洋炭砿の分離)で従業員数を縮小し、一方で「機械化採炭が定着」と、釧路市総合年表に記述されています。かつて多くの炭砿が稼働していた釧路炭田も太平洋炭砿が唯一稼働している実態を伝えています。

写真は、厳しい石炭産業の経営環境の中で「生きぬくやま」を目指して太平洋炭砿の経営者と働く人たちにより昭和44年5月17日、炭砿の福祉の殿堂として炭砿の街青雲台にオープンした太平洋スカイランドです。
一方、同40年代の太平洋炭砿の生産体制は、エネルギー政策に対応してSDロングウオール採炭方式の採用し、最新機器を駆使し45年7月には月間23万㌧を上回る「全国トップレベルの生産を実践」(釧路新聞昭和45年11月1日)します。年間で44年2196千㌧、45年2507千㌧、46年2549千㌧(太平洋炭砿労働組合40年史)。「ビルド鉱」として奮闘しています。
機構改革で自立した太平洋炭砿は、「世界に誇る高能率機械と経営体質の強化により炭砿の永続に挑戦する」と昭和45年11月1日の釧路新聞が報道しています。同46年の釧路市勢要覧にある、石炭産業の安定を目指す記述は、釧路の石炭産業の永続を願う釧路市民の願望と応援メッセージの様です。




