その他 蔵の記憶
公開:2026/03/14 更新:2026/04/24

伝えたい「蔵」の記憶(402)43年の末広町

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2022.1.17

 北大通商店街が都市改造事業の進展により急速に街並みを変える昭和40年代、繁華街末広町の街並みも変貌が始まりました。末広町が生まれた同7年の町名命名理由は、「旗亭カフエー軒を並べ紅灯街を形成、劇場2、活動写真館2あり、将来は相当繁盛すべき地域」と記述されています。

 戦後復興した昭和40年頃の住宅地図を見ると、戦前の街並みの記憶を受け継ぎ、釧劇、東宝、セントラルなどの映画館を中心に、大人も子供も楽しめるラーメンの銀水や笛園など、大小の飲食店や大人が楽しむニュー東宝、銀の目などのキャバレーが軒を連ね、⊖、道楽、日活などのパチンコ店をはじめとした遊技場が密集してます。しかし、同42年の末広町5丁目のオリエンタルデパートの開業と同43年、末広町4丁目の丸三鶴屋新館オープンによりショッピングを楽しむ街並みへ変化する兆しが見えました。

中田靴店

 写真は、昭和43年6月に北大通4丁目の丸三鶴屋新館前に開店した店舗から同54年には末広町5丁目へ移転した中田靴店です。並びにレストラン「軒」、喫茶「仏蘭西茶館」「ミサキレコード」が入居する足立ビルが同47年オープンします。

 昭和43年6月12日付の釧路新聞は、靴の専門店丸栄中田と足立靴店の末広町での店舗計画を「購買客の足を狙え・立地条件で勝負」と題して紹介しています。デパートが林立し、客足が集中する釧路の商店街の中で唯一成長が期待できる末広町に両社とも「先行きの繁栄を期待して切り込む」と報道しています。

 昭和43年の末広町は、発展する道東の中核都市・釧路の繁華街の記憶を残しながらショッピングの街へ変わり始めます。

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