伝えたい「蔵」の記憶(393)昭和42年の末広町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.10.18
昭和36年に始まった北大通都市改造事業が進展し、釧路デパート開店、丸ト北村の増改築など北大通商店街に近代的な店舗が誕生します。そんな商店街の変貌が続く昭和42年5月末、娯楽に飢えた戦後の市民生活を支え続けた映画館釧路東宝が丸三鶴屋の店舗計画をキッカケに閉館し、末広町にも新しい街並みの誕生が始まります。

写真は、テレビの普及や、パチンコ、バッティングセンター、ボウリングなどの娯楽の多様化による観客数の減少対策のため、姿を変えようとする末広町の映画街を「合理化急ぐ釧路興行界」「6月頃セントラル閉鎖」「釧路劇場改築」の見出しで報道する昭和42年4月5日の釧路新聞です。
戦後の末広町の映画館は昭和20年12月26日、焼跡に再建された釧路劇場が最初。その後同21年4月18日に丸三鶴屋3階に文化シネマが開設し、その後ツルヤシネマから末広町4丁目の東宝劇場へ変わり、その後、東映、オデオン座、映劇、セントラルなどが軒を連ね繁華街のにぎわいの主役でした。
しかし、昭和42年10月、末広町3丁目に浅川シネマ・ビルが開館し、11月18日には末広町5丁目にオリエンタルデパートが開店。映画館の釧路東宝、セントラル跡に丸三鶴屋新館店舗と、市民生活の変化に対応した新しい生活情報を発信する近代的な街並みへ再び変わり始めました。
末広町は、戦前の芝居、活動写真の時代からにぎわい、戦後の混乱期の娯楽に飢えた市民が映画館にあふれ、市民生活の活力となりました。末広町の近代的街並みは常に斬新な文化を発信します。




