伝えたい「蔵」の記憶(173)鮪の釧路
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.6.27
昭和初期は、昭和2年の金融恐慌、昭和4年の世界恐慌の影響を受けて釧路地方も深刻な不況の影響受け経済活動の低迷が続きますが、鮪の豊漁は明るい話題でした。昭和6年釧路市案内の釧路の鮪紹介の中で、「釧路港を根拠地とする機船は400隻を超え6月より11月の期間は港内及び河口は船がぶつかり合うくらい殷賑(いんしん)を極め、鮪の釧路として全国にその名を博すに至った」と鮪漁の活況の様子を紹介しています。

写真は、船から陸揚げされた30貫から40貫の鮪が並んだ光景です。この漁業が釧路港を基地として行われたのは明治末期から昭和10年ごろまでで、其の後まったく終えんした。釧路漁業史の中では特異な存在であると釧路市史に記載されていますが、鮪流網漁業が釧路の発展を支え、釧路水産業に大きな役割を果たしています。
大正、昭和の鮪の漁獲高の推移を見ると、大正15年から昭和6年まで水産物合計金額の31%から45%を占めています。因みに、昭和5年の統計を見ると、太平洋炭砿の石炭生産高が126万4千円に対し鮪の漁獲高は123万8649円で、釧路経済への貢献の大きさ分かります。
鮪の豊漁は、厳冬期の釧路川の氷の切りと氷倉庫群、飲食店街の活況のエピソードを生み、昭和6年8月6日の釧路新聞「持て余す鮪の大漁」の記事は、「一昨日2万匹、5万貫大漁した鮪漁は昨日に引き続き約1万3千匹、3万貫の漁獲あり冷凍船は全部出払い相場は低落、ドウしたら良いか…」と豊漁の様子を伝え、不況に挑戦する釧路市民に力強い活力を与えています。




