伝えたい「蔵」の記憶(384)旭橋開通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.7.19
釧路川沿いの街・茂尻矢は、木処釧路を支えた木材の街として釧路の黎明期から賑わう街並みでしたが、昭和7年の字地番改正により、大川町、城山町、材木町に分けられます。伝統的な木材の街並みは同30年代まで受け継がれていましたが、急速な市勢の拡大により伝統的な街並みに変化が始まりました。
釧路川で最長の橋、旭橋の開通式を「産業道路を結ぶ主要幹線」「旭橋完成・喜びの開通式」と昭和41年10月13日付の釧路新聞が報道しています。写真は、幣舞橋の上流に見える久寿里橋、旭橋、JR鉄橋が並び、幣舞橋は橋南と橋北、久寿橋は城山町と川上町、旭橋は材木町と旭町を結びます。橋の開通が地域の人々の交流を深め、街並みと都市機能の移り変わりに大きな影響を与えています。
久寿橋の竣工から33年を経て竣工した旭橋は、急速な人口増加と市街地拡大により交通量の増大する幣舞橋と久寿里橋の交通量緩和と歩行者の交通安全に加え、活況を呈する経済活動を支える産業道路を繋ぐ幹線道路として期待されます。

古くから材木町と旭町の住民は危険を承知で鉄橋を渡る人が多く切実な問題でした。当時の市内の自動車保有台数を比較すると「昭和38年9840台が同42年1万6757台と170%」(釧路市史より)と急速にモータリゼーションが進行し、幣舞橋、久寿里橋の交通量が限界と言われています。旭橋の開通により問題が解決すると同41年9月18日付の釧路新聞が報道しています。
旭橋開通は、人口増加と市街地の郊外への拡大が続く躍進釧路の活況と街並みの変貌の記憶を伝えます。




