その他 蔵の記憶
公開:2026/03/11 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(328)16万をこえた人口

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.3.2

 釧路市の戦後の人口増加の様子を伝える記述が、昭和38年度の釧路市市勢要覧(釧路市の経済、財政、人口等の情勢の要点をまとめた文書)に「16万をこえた人口」のタイトルであります。

 釧路市の人口は、同35年の国勢調査において、15万624人、其の増加率は26%を記録し全道で最も高く、全国では第6位の高率を示しました。全道の増加率6%に比べても、当市が本道に於ける人口吸収地帯となっていることがわかります。「戦前の釧路市の人口の動きは、激増期と微増期の繰り返しが見られたが戦後の人口は激増の途をたどった」と戦後の人口急増を伝えています。

 また昭和36年の人口増加傾向は、自然増2163人、社会増はその1.8倍の3874人、増加数は6057人と人口増加要因は転入者が転出者を上回る傾向を示す「発展型」と解説しています。

 発展型の人口増を支えたのは、釧路の基幹産業の漁業、石炭、紙パルプです。写真は、昭和34年大楽毛に新設された本州製紙釧路工場です。同30年代の基幹産業の動向を釧路市史で見ると、同30年スケソウの大漁(エトロフブームと呼ばれる)、極洋捕鯨の母船式サケ・マス船団の基地となる、同31年サンマ豊漁水揚げ1500万貫となる、同34年本州製紙クラフトライナー完成─。

本州製紙釧路工場

 さらに昭和35年十条製紙大型高速新聞用マシン運転開始、太平洋炭砿の出炭100万㌧突破する、同37年第一次石炭鉱業調査団の太平洋炭砿調査など活況を呈する漁業、石炭、紙パルプの記述が見られます。

 「16万をこえた人口」は、急速な発展を誇る躍進釧路の記憶を伝えています。

前「旭立体橋」    次「一年後はビル街」

TOP