伝えたい「蔵」の記憶(323)釧路民衆駅
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.1.20
昭和36年の釧路市は、基幹産業の漁業、石炭、紙パルプの活況により躍進する道東の中核都市として発展し、北大通都市改造事業の開始、釧路空港の共用開始、国鉄釧路民衆駅の完成により、より文化的な近代都市への街づくりが始まります。特に昭和36年12月6日竣工の釧路民衆駅が釧路の中心市街地近代化の始まりとなります。

写真は、昭和36年頃の北大通り13丁目。北交ハイヤー、チャンピオンパチンコの看板が見える街並と鉄道管理局局舎の奥に完成間近の釧路民衆駅が見えます。民衆駅は、駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設(ステーションデパート)を設けられました。
釧路民衆駅は、昭和27年の札幌駅、同34年の旭川駅次いで道内で3番目の民衆駅として開業します。駅舎は地下1階地上4階建ての近代的なビルで、地下は改札口を備え直接出入りの出来るステーションデパートで、2階以上は釧路鉄道管理局が使用しています。同時にそれまでは、跨線橋のむすび橋が駅前と駅裏が結ぶ市民の生活路でしたが、民衆駅開設時に通り抜けの地下道が完成して橋北地区と鉄北地区の市民交流の生活路として歓迎されます。
ステーションデパートのある近代的な駅舎と橋北地区と鉄北地区を結ぶ地下道の開通した釧路民衆駅は、「建物の偉容さに驚き、都市美に一つの景観を添えた」と釧路新聞社出版の余塵30年が記述しています。
釧路市民に感動を与え、躍進釧路を実感させた釧路民衆駅は、道東の中核都市釧路の躍進の記憶を伝えています。




