伝えたい「蔵」の記憶(322)むすび橋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.1.13
戦後復興期の昭和24年10月10日釧路市は、隣接する鳥取町と合併をします。合併は、人口の増加、活況を呈する石炭、漁業に紙パルプが加わりその後の釧路市の市勢の躍進を支えます。
人口が増加する当時の市街地拡大の様子については、「市の発展から市民は隣接する鳥取町に住居を求め、新釧路川以西の十条地区及び農村地区を除いてはほとんどが釧路市に生活基盤を持つ住民に占められ、合併の機が熟す」と釧路市史が記述しています。
合併した時の釧路市は1万4826戸・7万1731人、鳥取町は2638戸・1万3449人で、合併直後の昭和25年の釧路市は、1万8077戸・9万3357人。同27年には1万9696戸・10万4393人と10万都市となります。

写真は、合併直後に釧路市と旧鳥取町を結ぶため昭和25年4月10日に完成した「むすび橋」です。市民の強い要望により「むすび橋建設期成会」が結成されて、釧路市と国鉄が80万円ずつ捻出し計160万円で建設されます(昭和31年12月27日釧路新聞)。むすび橋は、鉄北地区(旧鳥取町)と橋北地区を結ぶ鉄道線路の上にかけられた跨線橋で、通勤、通学や生活路として鉄北地区と橋北地区の人々の交流の要として大切な施設です。
昭和31年12月27日の釧路新聞は、1日2万人の交通量に達するむすび橋を「これから危険なむすび橋」の見出しで、危険が増す冬の氷雪対策の維持管理を訴え、生活路の安全対策の提言を報道しています。
むすび橋は、拡大する市街地の市民の交流と釧路市と鳥取町の合併の象徴として市勢の発展に大きな役割を果たした記憶を伝えています。




