伝えたい「蔵」の記憶(316)道路占領した北大通り交番
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.11.4
北大通り商店街が復興から発展、躍進へ向かっていた昭和30年代始めの同31年9月12日の釧路新聞が「変わった官庁」として、道路の半分を占領した「北大通り交番」を紹介しています。北大通り交番は、大正3年5月31日に出来たと言うから45年間も釧路と発展を共にし、市内バスに乗ると、きまって「次は北大通り交番前でございます。お降りの方はお知らせ願います」と案内が流れる。そのくらい市民になじみが深いが、昭和24年に新築した時に、この様に大きくなったと報道しています。

写真は、北大通り8丁目と北大通り9丁目の間の道路半分以上を占領する北大通り交番です。
北大通り交番が設置された大正3年頃の北大通り(当時西幣舞)の街並は、現在の釧路駅付近はまだ湿地で大正6年根室線開通による釧路駅の新築移転により街並みが徐々に発展をします。其の後の北大通りの歩みを見ると、大正7、8年の大火に被災、同9年の大洪水にも被災をしますが、同12年1月の雄別鉄道の営業開始、同15年4月の乗合自動車営業開始、昭和2年の釧網線釧路標茶間開通、同6年釧網線全通の延伸と四代目幣舞橋の架橋、百貨店丸三鶴屋開店などにより街並は急激な発展を遂げて釧路の中心市街地となり同7年の字地番改正により北大通りが誕生します。昭和20年の戦災と戦後復興を体験して釧路の中心商店街として躍進釧路を支えます。
道路を占領した北大通り交番は、黎明期の北大通り商店街から躍進し釧路の中心商店街誕生と安全な市民生活を記憶しています。




