伝えたい「蔵」の記憶(307)キャバレーニュー東宝
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.8.26
昭和30年後半から神武景気が始まり、北洋漁業が活況の漁業と石炭、紙パルプの好調に支えられた釧路は、人口急増と同時に、街並に急激な変化が見られます。北大通り商店街と歓楽街の末広町の賑わいは、釧路市民の自慢で、飲食店が並ぶ末広町は初めて釧路に来た人が皆、飲み屋の多さと変貌に驚くと言われていました。
昭和31年11月17日の釧路新聞も、「飲み屋大いに繁昌」「市内だけでも550軒」「紅灯の街続々進出」と釧路の歓楽街の活況を伝え、12月にはシリーズ「横丁のぞき」で歓楽街の飲食店を紹介しています。
当時の中心歓楽街末広町は、五丁目(現オリエンタルプラザの通り)の「ニュー東宝」「クラブ上海」「カサブランカ」などのキャバレーが並ぶ末広大通りと純日本風割烹の「喜水」「静」が並ぶ4丁目(元丸三鶴屋新館裏通り)末広仲通りを中心に多くの飲食店が軒を争っています。

写真は、元日営業のキャバレーニュー東宝のホールに、華やかな着物で正装した女給さんと従業員人が100人以上集合し、キャバレーの活況を伝えています。
キャバレーは、大きなホールで生バンドに合わせて女性とダンスを踊るスタイルの大型の飲食店で進駐軍の駐留以降に誕生します。キャバレーが並ぶ夜の末広町の繁華街は、ネオンサインのきらめきと、聞こえてくるバンドのメロディーが「新しい時代の力強い賑わいを感じさせた」と古老が伝えています。
キャバレーニュー東宝は、多彩な企画を展開して歓楽街に賑わいと活力を与え、多くの市民に楽しい記憶を残しています。




