伝えたい「蔵」の記憶(301)丸三鶴屋の復興
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.7.15
昭和18年は、百貨店にとって「画期的な受難時代であった」と両角栄治さんが著書「落葉」で戦時の百貨店を回顧しています。年々強化される物資統制と配給商品の減少、幹部店員の軍事産業への転出などにより百貨店経営が絶望的となり、本来の商業活動は消滅して必需品の仕入れに力を注ぎ配給を適正に行うことが使命となります。
商店の転廃業により北大通り商店街は、商品を売る人がいない空き店舗商店街となりますが、丸三鶴屋と北大通り商店街は、昭和20年7月14・15日の空襲で被災しながらも同8月15日の終戦を迎えて戦後復興へ取り組みます。
丸三鶴屋は、焼失店舗を補修して昭和20年9月に営業を再開します。店内で物資交換会を実施し、喫茶店、映画館を設けたり釧路博物館を開設して市民から好評を博しますが、市民生活は衣食住を求めて混乱を繰り返し、闇取引が公然と行われた中で戦後復興期に挑戦します。混乱する復興期の同23年3月に両角栄治さんが取締役会長に、両角克治さんが取締役社長に就任。同24年に北見支店を閉鎖して人的物的資産を集結して釧路本店復興に当たる決断をします。

写真は、昭和25年11月12日の北海道新聞に掲載された売場移動案内の広告です。繁忙期を迎えた時期に増築工事を行い顧客サービス向上に取り組む意欲を感じさせます。
昭和25年の丸三鶴屋は、「景気上昇により戦後復興が軌道に乗り木造事務館増築、12月に4階増築完了して戦前の規模に復す」と五十年小史に記述し、終戦から5年で復興から発展への挑戦が続きます。




