伝えたい「蔵」の記憶(287)釧路新聞創刊
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.3.25
昭和30年から同32年の日本経済は、神武景気と呼ばれ、戦後の日本経済が立ち直り「もはや戦後ではない」と経済白書が記述しています。釧路では、漁業を中心に石炭、紙パルプの主要産業が活況を呈し躍進の鼓動を感じる都市として急成長しています。
昭和30年12月11日、躍進釧路を象徴するかのように釧路新聞の創刊号が発行されます。写真は、第1号と記載された創刊号の一面です。市議会の人事問題、鳥取橋の架け替え、橋南ロータリーと富士見坂工事など釧路の情報を報道しています。

議論をたたかわせる場の「論壇」では、釧路新聞の創刊に当り、「地元には地元の新聞があってよさそうだし一つぐらい型にはまらない、市民が何でもいえ、何でも書ける新聞があってよい、とつくづく考えたまでである」、「今はこんな豆新聞でもなんとか努力し─」と「郷土人の豆新聞」の決意を伝えています。
コラムの「余塵」では、読者に寄り添う海外の新聞創刊情報を伝えながら、ラジオ、テレビによる報道の多様化の脅威も読者の支持を受ければ、「ラジオもテレビもクソくらえだ」と、可愛がってもらえる、読者と歩む新聞を目指す考えを訴えています。
釧路新聞は、明治35年に白石義郎により創刊され昭和17年新聞事業法により北海道新聞として統合されるまで存続し、釧路の政治・文化・市民生活を報道した郷土の新聞でした。
終戦、復興を経て戦後10年、釧路市民の新しい文化へのエネルギー対応する様に郷土釧路の文化を担う釧路新聞の創刊は、躍進都市への鼓動を感じさせる釧路の記憶です。




