伝えたい「蔵」の記憶(286)昭和30年の幣舞橋から
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.3.18
戦後復興期の厳しさを乗り越えた昭和30年は、漁業、石炭、木材、紙パルプの基幹産業の好調に支えられて躍進都市釧路への飛躍を感じさせた年です。人口は、昭和20年5万633人が同30年11万6907人と230%と急増し、漁業は、サケ・マス、サンマを中心に水揚げ量が急増して、同30年の水揚げ量は前年より194%も増加。石炭は、神武景気による国内経済の好調で増産が続き、木材は、同29年の風倒木整理で活況を呈しています。

写真は、釧路川に溢れる様に係留された漁船。僅かな釧路川の隙間をタグボートに引かれた丸太を組んだ筏(いかだ)、その後を追うように石炭を満載した艀(はしけ)をけん引するタグボート、漁船の魚を狙うカモメの大群。昭和30年釧路市「市勢要覧」に掲載された活気溢れる幣舞橋から見た釧路川の様子です。
当時の街の様子を見ると、幣舞橋北橋詰付近(現在のMOO)は、魚揚市場があり早朝から魚の水揚げで漁師、仲買人らで人と魚が溢れて釧路の活況を伝える一方、市内の道路にはトラックで運ばれた魚が落ちて悪臭を発して「釧路の街は魚臭い」と言われていました。
久寿里橋から鉄橋までの釧路川左岸の土場(丸太置場)には山のように丸太が積まれ、製材工場の鋸の音が響き釧路川では筏を組む作業が見られる木材の街でもありました。太平洋炭砿は、体質改善を目標に合理化が取り組み、出炭量は従来の70万頓(トン)から80万頓と増産していたと釧路市史に記述されています。
昭和30年の幣舞橋から見る光景は、漁業、石炭、木材が躍進釧路を支え、釧路市民に活力を与えています。




