伝えたい「蔵」の記憶(259)戦後の黒金町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.7.23
釧路市の戦後復興は、基幹産業の漁業、石炭、紙パルプの活況により力強く進展をします。復興の力強い進展を支えたサンマとサバの豊漁、石炭、木材と紙の増産と、市民生活再建などの物流を支えたのが馬の力です。
トラック輸送などの機械力の少ない戦後の輸送は馬車運搬が貢献します。馬車運搬は、主に木材、枕木関係の木材関係の木材運搬業と土木関係、浜釧路駅(現プラザさいわい付近の貨物専用駅)関係の一般雑貨運搬、城山町の石炭運搬、市内塵芥処理運搬を担っています。

写真は、昭和20年代後半の黒金町7丁目(現みずほ銀行釧路支店裏通り)の青果問屋大藤斎藤商店の店頭です。2台のオート三輪車と2台の荷馬車にミカンの箱を満載し、市内の小売店へ届けるため出発する光景です。大量のミカンは食糧状況の回復を伝え、戦後普及し始めたオート三輪車は其の後のモータリゼーションの兆しが感じられ、大量のミカンの山を満足げに並ぶ人達の笑顔には力強さを感じさせます。
斎藤商店の後ろ側の幸町(現プラザさいわい)付近は、釧路の鉄道発祥の地で、戦後も貨物専用駅の浜釧路駅と鉄道官舎が並ぶ鉄道の街でした。浜釧路駅は、戦後復興の物流拠点となり黒金町の釧路駅寄りには青果問屋の横地青果、酒問屋北酒販、衣料雑貨の両角商店などが並び、青果、食糧品、雑貨を扱う問屋街が出来て東北海道の生活物資の供給拠点となります。
オート三輪車、荷馬車が並ぶ、黒金町の光景は、戦後の物流拠点の浜釧路駅と卸問屋、小売店を結ぶ物流の街の記憶を伝えます。




