その他 蔵の記憶
公開:2026/03/09 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(241)釧路・鳥取合併

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2018.2.12

 戦後復興に取り組む釧路市の状況を、昭和23年釧路市発行の釧路案内は、「焼失地の再起を図ると共に積極的に経済復興に努力しつつある」と伝えています。

 当時の釧路は、黒ダイヤと呼ばれた石炭産業と恵まれた漁場の漁業の活況が復興を促進しています。同24年頃になると戦後経済が回復し徐々に生活物資の統制が撤廃され衣食住が好転し始め新しい時代を感じさせます。

「きょう大釧路市誕生」─東北海道新聞(現釧路新聞)

 戦後の釧路市の新しい時代を象徴したのが、昭和24年10月10日の釧路市と鳥取町の合併です。写真は、「きょう大釧路市誕生」「道東代表都市に躍進」の見出しで、合併によって飛躍する釧路市の明日に希望を託す2万人の旗行列の様子を報道している東北海道新聞(現釧路新聞)です。

 10月10日合併実現、鳥取町役場で「鳥取町解散式」「釧路市議事堂で市民500人が参集して「合併記念式」を挙行と「道東戦後40年史」(釧路新聞社刊)に記載されています。釧路市の人口7万1731人、鳥取町の人口1万3449人合わせて8万5180人の釧路市が誕生し、新しい市長と市議の選挙も11月10日行われ佐熊宏平が市長に再選され、新たな街づくりがスタートします。

 漁業と石炭の釧路と紙の鳥取の合併により其の後釧路の発展を支える基幹産業が揃いました。人口急増により拡大が続く街並みは、市街地が鉄道線路を超えて釧路駅北側の鉄北地区へ拡大し、鳥取と釧路の合併を象徴する様に釧路駅東側の跨線橋「むすび橋」により鉄北と橋北の街並みが結ばれます。

 釧路と鳥取の合併は、其の後の躍進都市釧路誕生の活力の記憶のひとつです。

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