伝えたい「蔵」の記憶(240)復興末広町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.1.29
昭和12年頃の末広町の飲食店街の様子は、ライオン、千鳥、梅林、正宗などの料理店と豪華な「街の酒場」、躍進するツバサなどのカフエーが軒を並べ、躍進釧路を象徴する賑やかな飲食店街と「釧路観光案内」が伝えていますが、戦災により焼け野原となります。
昭和23年1月8日の北海道新聞に末広町復興を伝える、「貸席・福本」の「元日より開業、ご家庭の延長として小会合、商談などにご利用願います」の広告が見られました。場所は釧路市末広町4丁目2番です。経済の混乱が続き生活物資の不足が厳しく主食の配給、衣料切符の配布を市役所の公報が伝える社会情勢の中での開店です。
昭和24年になると「割烹静」の本場うなぎ蒲焼の広告や、1階が社交喫茶で2階がダンスホールの道東一を誇る社交場「ユアーコロナ」の開店広告など末広町の復興を伝える飲食店の新聞広告が見られます。

写真は、昭和25年頃の復興した末広町5丁目(現在のオリエンタルプラザ付近)の飲食店街の様子です。左側に3階建のカフエータイガー、遠藤履物店、八千代寿司分店、カフエー上海、増築が完成したキャバレーニュー東宝。右側の天ぷら食事の看板を挙げたすみ友(現在のセントラルビル)が見えます。戦前の末広町5丁目は、映画のオペラ館を中心に割烹駒止、多喜の家など飲食店が並ぶ飲食店街でしたが、戦後早々に焼け野原から近代的な飲食店街が復興しました。
末広町飲食店街は、戦後の復興に取り組む釧路市民の活力の記憶です。




