伝えたい「蔵」の記憶(219)代用品
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.7.24
昭和20年2月硫黄島がアメリカ軍の手に陥ち、3月10日に東京大空襲と戦局が厳しくなってきます。当時の北海道新聞の記事は、軍刀を片手にいざ出撃「来れば来るほど戦意は募る」と戦意昂揚を呼び掛け、「飛行機なき戦ひに切歯扼腕、のさばる敵機、敵艦」と戦況の厳しさを伝えています。
銃後を守る釧路市民は、敵機動部隊の来襲に備えた防空訓練、燈火管制などの抜き打ち点検、指導を受け、「硫黄島の勇士に申し訳ない、敵襲下で戦う」が報道される緊迫した戦況下で、釧路の会社が知恵と工夫で物不足改善に挑戦した記事が掲載されます。
昭和20年3月4日北海道新聞に、釧路市大町5丁目の釧路木工合資会社が「木製のお茶碗やお丼、古材利用全国に魁け企業化」の記事が掲載されました。戦時の銃後の市民生活は、「欲しがりません勝つまでは」を掲げ、戦争必勝祈願をし耐乏生活を続けている戦時に、古材を利用してた代用品が釧路で企業化された事は釧路市民に夢と活力を与えた事と思います。
瀬戸物不足を木製品で補う発想は、物不足を知恵と工夫で苦しい戦時に挑戦した先人の逞しさの記憶です。

写真は、戦時中に使用された木製のしゃもじです、金属回収令により金属類が家庭から姿を消し代用品として木製品が登場します。当時の代用品を見ますと、イラクサを下駄の鼻緒のシンにする、帆立貝殻のお皿、南瓜の種を胡麻の代用、フキの皮を乾燥させて荷造り紐など人々の創意工夫が銃後を守り、それらの戦時代用品は市民生活の苦難の記憶を伝えています。




