伝えたい「蔵」の記憶(217)気球爆弾
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.7.10
昭和20年1月の新聞は、戦況の厳しさを反映し「本土決戦」「一億総武装」のスローガンに対応した、主婦、年寄が参加した竹槍訓練、防空演習、学徒の勤労動員計画などの銃後の守りを紹介する報道が多くなります。緊迫した時局を反映し、鉄道輸送の担当者は、「神様のおぼしめしだ。儂は線路で死ぬよ、俺たちの職場は戦場だ、精神力で倒れるまで突貫工事だ」など本土防衛に取り組む戦時の悲壮な心境も伝えています。

写真は、昭和20年2月19日の北海道新聞が報道した「新兵器出現か」の記事。「日本製の気球爆弾 太平洋を一飛び 米本土に炸裂・大騒ぎ」と日本の気球爆弾による特殊な空中攻撃の戦果を伝えています。アメリカ軍が日本本土に迫る勢いの戦況時に、銃後を守る人々に大きな衝撃を与えた事でしょう。
気球爆弾は、戦後風船と呼ばれますが、太平洋戦争に於いて日本陸軍が開発した、気球に爆弾を搭載した兵噐です。材質は楮(こうぞ)の和紙を使い、接着剤には気密性が高く粘度が強いコンニャク糊が使用されており、コンニャク芋が軍需品になります。直径10㍍位の和紙製の風船を作り気球内に水素ガスを充填します。大気高層のジェット気流に爆弾をぶら下げた和紙製の風船を乗せ無誘導でアメリカ本土に攻撃します。約9300発の放球のうち、アメリカ本土に到着したのは1000発前後と推定され、日本から約7000㌔㍍離れたオレゴン州での戦果が記録されています。
昭和20年1月元日の北海道新聞は、「決戦の年明ける」と報道しています。緊迫した戦局に立ち向かう釧路市民に気球爆弾はどの様な記憶を与えたでしょうか。




