その他 蔵の記憶
公開:2026/03/08 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(215)昭和19年の商店街

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2017.6.26

 戦時経済下の商業は、「戦時経済統制による物資の販売統制や配給制度によって、経済的自由主義にもとづく商品の時間的、場所的隔離の調節者としての本来の機能を失ってしまった。利益追求の価値観に変わって、国家への奉仕の商業的道徳が優先していた」と釧路市史に記述されています。

 本来の商業機能を失った釧路の商店街の苦渋の様子を昭和19年1月の北海道新聞が伝えています。写真は、同2日付けの北海道新聞に掲載された丸三鶴屋の小さな広告です、正月三日午前九時開店と初売りを案内しています。国土防衛に総員戦闘配置を謳う時局に掲載された商品情報の無い年始広告は、新春の市民の笑顔を願う商店街の苦悩を伝えています。

 当時の丸三鶴屋の様子は、売場供出の拡大、配給商品の減少、衣料品切符点数の引き上げ、店員の徴用などにより百貨店経営は「早晩絶望の感」(両角栄治)と厳しい状況を昭和18年の記憶が伝えています。新聞は、「転廃商業者を誘致し製炭戦士を短期養成」、「凄愴苛烈なる決戦下に即応し重点産業に転職のため12月31日限り閉店仕候永々のお引き立て厚く御礼申上候」など商店街の崩壊の記事が掲載されています。

丸三鶴屋の広告

 昭和19年1月29日の北海道新聞には、「商店街を再編成、住宅裁定研究会(仮称)設定」の記事が掲載されます。企業整備により衰退する商店街の再編成が全国的に議論され、釧路に於いても、空家が殖える南北大通り商店街への善後策を報道しています。

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