その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(205)活兵器釧路馬

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2017.3.27

 昭和16年12月8日太平洋戦争勃発以降戦線は南方へ拡大します。同17年5月には、市内の映画館で南進の戦果を伝える「シンガポール陥落詳報」が上映され、戦勝を報道していますが、戦時の緊張が一層強くなり、丸三鶴屋では「大東亜戦争国債売出し」の広告、東宝映画館は、軍用機献納基金造成の為に収入全部提供の「献金興行」実施など銃後の戦時体制の新聞報道が多く見られます。

 「栄光の活兵噐、釧路馬」「戸田侍従大楽毛家畜市場視察」の記事が昭和17年7月21日の釧路新聞に掲載されます。聖旨奉じた道内の重要産業の視察ですが、国策に順応した馬産方針を確立した大楽毛家畜市場が道内の馬産地で唯一の視察でした。戦場に於ける軍馬は、「活兵噐」生きた兵噐と呼ばれ兵士より大事にされたとも言われています。

「日本釧路種」の馬像

 写真は、昭和7年神八三郎らによる軍用馬の改良新種馬誕生を後世に伝えるJR大楽毛駅前建立の「日本釧路種」の馬像です。軍馬は、山岳地帯での機甲部隊の耳目として活躍し、軍需物資、銃砲の輸送、偵察などに使役され大切な戦略兵噐として活躍します。

 太平洋戦争が勃発すると、日本釧路種は軍馬として黒金町の浜釧路駅から集合先の旭川の第七師団に貨車で輸送されます。馬応召時の見送りの光景は、人の出征と同様にのぼりを立て、日の丸の旗と多くの人が見送ったと馬産王国・釧路(寺島敏治著)に記述されています

 活兵噐として軍の要求を満たし活躍した軍馬日本釧路種は、馬産地釧路の戦時の記憶を伝えています。

前「喫茶りりー」    次「兵士へ送る「慰問袋」」

TOP