伝えたい「蔵」の記憶(161)幣舞橋と西幣舞
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.3.21
昭和初期の釧路の街並みは、釧路町施設事業計画(現在の都市計画)を基本とし事業計画が実施され、上水道の敷設、釧路川治水工事、幣舞橋(永久橋)架換などの事業が完成を迎え、東北海道の中核都市として街並みが急速に変貌し新しい時代を迎えます。
釧路の人口が橋南から橋北に北進し、停車場と幣舞橋を結ぶ西幣舞橋通り(現北大通)は、釧路の新興の中心市街地として活況を呈し、平和市場の開設など新しい街並みが見られます。西幣舞発展の要因の一つは4代目幣舞橋の架換です。大正14年3月着工し、昭和3年10竣工、11月3日の明治節の佳日に幣舞の大鉄橋の渡橋式が行われます。

写真は、昭和3年9月29の釧路新聞に掲載された、「繁華の中心点となる鉄橋界隈の道普請」の見出しです。竣工まで1カ月余り、毎日40の馬車が茂尻矢の養老湯(現大川町)の裏の崖から盛土を運び、南北橋詰の埋立地の盛土工事は順調である。盛土された道路から見る西幣舞橋通り(現北大通)の街並みは、都大路を思わせる新しい街並みが誕生した、と報道しています。
鉄橋完成による市内の動向として、橋南が活気づき、橋詰の地価や家賃が急騰し橋梁工事で3カ年間雌伏した人気を挽回しようと勃興の機運が盛り上っている。また橋北停車場通り(現黒金町、錦町)の人気はいっぺんに鉄橋通り(現北大通)に奪われるなど、釧路市史に記述されています。
幣舞橋は、橋南と橋北の交通の不便を解消し、西幣舞橋通り商店街の発展を支え戦前戦後の街の記憶を伝えます。




