その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(146)釧路川の桟橋

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.11.2

 明治37年7月釧路~白糠に鉄道が開通して釧路川右岸の西幣舞は釧路停車場を中心とした街並みが誕生します。同41年の釧路港修築中の部分図を見ると、釧路駅から釧路川への鉄道線路が設置され、貨車で運んだ荷物は艀(はしけ)に積み込むか土場へ降ろされます。幣舞橋下流の釧路川に、港内の荷役作業の為の桟橋が建設されます。桟橋は、釧路港の埠頭の築造が遅れ、汽船が接岸出来ない為に荷役作業を行う設備です。

釧路川輸送桟橋舞

 写真は、大正時代の道東各方面から鉄道輸送された木材貯留と釧路川輸送桟橋の光景です。桟橋から降ろされ川岸に積まれた大量の木材の山と作業員、桟橋に有力な木材業者「SAKAI MOKUZAI GOSHIKAISHA」の看板が見え活況を呈する釧路の木材業の記憶を伝えています。

 釧路は、明治時代より優良な森林資源に恵まれ、釧路川、阿寒川の筏の流送、鉄道の貨物輸送、不凍港などの好条件に恵まれて木材の集散地の役割を果たし、木処釧路と呼ばれています。大正7年頃、釧路、十勝、北見の木材の生産は道内の64%に達し、木材の輸移出総量は、一般用材、鉄道用枕木の取り扱いについて釧路港が道内最多となり北海道木材の集散港となります。大正6年の釧路駅発着貨物量を見ると、到着貨物が発送貨物の6.5倍ですが到着貨物の66.4%を林産物が占めています。(釧路の産業史)

 停車場と桟橋のある西幣舞の街は、川岸に倉庫が並び、木材、雑穀等を扱う商社、運送、荷役業者が軒を並べ道東の物資の集散基地釧路の中核の街として躍進釧路を支えました。今も当時の街並みの記憶を伝えています。

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