その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(145)釧路川の治水

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.10.26

 釧路市の大正14年の人口は4万2333人、町別の人口を見ますと西幣舞1万5540人、米町、真砂町、洲崎町、幣舞町の合計が、7938人と新興の市街地が伝統的な中心市街より人口が多くなり、釧路の中心市街地が西幣舞への移る兆しを感じさせています。

 人口の増加、市街地の拡大に対応して釧路市では、上水道敷設、永久橋建設、釧路川の治水などの都市基盤と機能の整備を実施しますが、釧路川の治水は釧路発展を支えた大きな要因です。

 釧路川の治水史を見ますと、開拓時代から釧路川と支流の阿寒川の洪水による被害が記録されています。大正9年8月8日に未曾有の大洪水があり釧路川は増水し、氾濫した水は1週間も減水せず、橋北地区の大部分が濁流に侵され家屋の流出、浸水の被害を受けます。大洪水を契機として、大正10年より昭和12年に至る釧路川治水計画が立てられ、大正10年6月釧路川治水工事が着工します。

岩保木水門

 治水工事は、釧路川を岩保木より分流し、河口まで11.2㌔㍍掘削し釧路川新水路とし、岩保木に水門が設けられました。写真は、昭和6年8月岩保木水門と明記された釧路川の治水の記憶を伝える水門です。新釧路川通水は、釧路市及鳥取の水害の防止、釧路港に流入する土砂の港外への誘導、新水路沿岸の開拓の促進、釧路川の浚渫など釧路の街並形成に影響しています。釧路川右岸の西幣舞(現在の北大通、末広町、栄町)の発展は、釧路川の治水工事も大きな要因です。

 釧路川治水工事は、大釧路建設を実践した先人の活力の記憶を伝えています。

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