伝えたい「蔵」の記憶(142)乗合自動車登場
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.10.5
大正時代後期の釧路は、大正9年に区制、同11年市制が施行されます。区制実施申請に際し都市機能の基盤整備計画を実施するために釧路町施設事業計画案を作成します。市街地の拡大が続く西幣舞の発展を支えるための上水道の敷設、交通・防災に問題がある幣舞橋北橋詰から停車場などの幹線道路の拡幅など道東の中核都市釧路の都市機能の整備充実に取り組んでいます。

写真は、大正時代の乗合自動車に使用されたアメリカのT型フォードです。西幣舞の市街地化が急速にすすみ、南北両市街地の往来が頻繁になった時代の釧路に登場したのが近代文明を伝える乗合自動車です。大正14年4月資本金1万5000円の釧路乗合自動車が、三上運送店社長鈴木宗竹、貨物自動車運送業館徳蔵、木材業の沼館助三郎、深谷助太郎、田中留次郎により設立されました。
小樽からT型フォードの中古車3台を購入し、釧路停車場前から丸三呉服店を経由して米町3丁目までを定期運行、乗車賃10銭、運行は午前7時から午後10時。その後、運行路線は築港正門から茂尻矢消防番所支部、停車場前から第二小学校前の定期路線が開設します。米が一升15銭で買える時代の10銭の料金が高く、経営に苦労をした様子を釧路市史に記載しています。
人力車、自転車、荷馬車が主要な交通運輸の時代に、近代文明を伝える舶来のフォード社の乗合自動車が銀行、商店が並ぶ西幣舞大通を走る光景は、新しい文化を感じさせ、釧路の中心市街地に発展する北大通の賑わいを予測させます。




