その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(135)大正11年の西幣舞

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.7.27

 大正時代後半の釧路では、大正9年の太平洋炭砿の設立、富士製紙(現日本製紙)のパルプ紙製造開始、同10年の根室本線全線開通などの産業基盤整備が進展し、同9年7月に釧路に区制が施行され道東の中核都市としての市勢が拡大します。同11年の人口4万2837人と釧路停車場の乗客数21万5481人を同6年と比較すると、人口は36%増、乗降客は98%増と著しい発展の情勢を伝えています。

大正11年の西幣舞

 写真は大正11年摂政宮行啓当時の釧路川、3代目幣舞橋、幣舞橋から停車場へ延びる大通、大きな建物が見える繁華街、西幣舞の街並みです。

 大正11年7月17日から19日にかけて摂政宮殿下(のち昭和天皇)行啓があります。釧路新聞は、「摂政宮御機嫌麗しく釧路御着」、「殿下は御召人力車で釧路駅を出発、幣舞通、幣舞橋、幣舞町、築港事務所を左折し浦見本通を経て宿舎の公会堂へ御安着」と報道し、お召人力車の後に80台余りの人力車を連ね、小学生7000人、盛装をした婦人会、在郷軍人らが沿道に整列をして奉迎。夜には7000人の一大提灯行列、篝火の照らされた頓化海岸など奉迎の様子を報道しています。奉迎の新聞報道を見ますと、西幣舞の停車場から幣舞橋の通りと真砂町通りが奉迎の中心となっています。

 大正11年8月1日釧路に市制が施行され、3000人余の市民よる祝賀の提灯行列が市内を練歩き停車場で散会ですが、提灯で埋め尽くされた西幣舞の通り夜景は大釧路の象徴の様です。

 新興の西幣舞は、伝統の中心市街地真砂町と並ぶ様相の市街地の様です。

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