伝えたい「蔵」の記憶(127)第四小学校
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.5.11
大正4年6月13日、3代目幣舞橋の渡橋式が行われます。橋北への市街地の拡大による交通量の増加に対応して橋幅が旧橋の倍となりました。橋北へ拡大する街並みの様子が「街角の百年」に記述されています。
大正5年1月20日現在の電話番号簿で橋北の電話設置状況を見ますと、現在の北大通2丁目から6丁目に集中しています。拓殖銀行西幣出張所の開設、橋南地区の豊島回漕店、丸三両角呉服店などの様に、橋北地区に新店舗を開設する例が見られ、後に釧路の中心市街地となる街並みの様子が窺えます。

大正5年10月15日第四小学校(旭小学校)が開校します。写真は、釧路新聞に掲載された開校挙式の記事です。式場は、玄関前の運動場に紅白の大天幕、万国旗をもって飾り、相撲、撃剣、大弓などの余興があり、来賓も300余名に達する盛況の様子、開校の経緯は第一、第二、第三学校と創立の趣は異なり、「西幣舞の有志が心血を注ぎ開校が実現した」と、西幣舞住民の努力を伝えています。
当時の西幣舞の児童数は、約2000名で第一小学校(日進)、第三小学校(東栄)へ700名、第二小学校へ1300名通学しています。西幣舞の住民は、遠足の様な通学を解消する為に町への陳情書、中戸川平太郎、金森合名会社への協力の要請、篤志家への寄付の要請と熱烈な運動を実践し開校が実現します。
開校後校舎の増築が毎年実施され、大正11年には児童数2000を超える市内第一のマンモス校となります。
第四小学校の開校は、西幣舞の人口の増加と街並みの拡大の記憶を伝えています。




