伝えたい「蔵」の記憶(126)停車場の移転
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.5.4
大正6年12月1日根室線の釧路・厚岸間が開通に伴い、釧路停車場を現在地に新築移転します。旧停車場は浜釧路と改名し、釧路港海陸運輸の連絡のための貨物専用駅となり、貨物と旅客が分けられます。

写真は、大正6年開業前の駅前が整備されていない釧路停車場です。釧路停車場の移転は、西幣舞の街並みが釧路の中心市街地になる要因になります。
駅の設置場所は、町の発展に大きく影響しますが、駅を何処に開設するかに三案がありました。一案は「競馬場の南入口辺」で、現在の駒場町あたり。二案の「三共酒造場裏手」は現在の寿町、喜多町付近。三案は現在の位置です。
一案は、釧路市街地から離れている。三案は深い野地であり、線路も野地を通さなければならないので技術者は皆反対して、二案を最適地としました。釧路町では町議会を開いて三案を予定地として猛烈な運動を起こしました。「一、二案に設置せられれば、それは鳥取停車場で、釧路駅とは云われないでないか、それに釧路も現停車場まで発展すれば沢山だ」(当時北大通の8丁目から駅まではどぶどぶの大野地で人家が一戸も無かった未開地でした)と訴えました。
鳥取村では、「三案では鳥取村の消長に関する、特に釧路町との交通を遮断することになる」と陳情運動をします。釧路町と鳥取村で停車場位置について競いますが、「政治的に運動上手な釧路町に及ぶべきもなく」大正3年現在の位置に決まりました。(鳥取町誌より)
人家も疎らな湿地に移転した釧路駅は、西幣舞に新しい街並みを誕生させ、釧路の躍進を支えます。




