HEAT VOICEミュージックヒストリー②「ヒートボイス、軽井沢からの宿題」
ヒートボイス(目黒広幸、伊藤カズヒロ)は2004年、プロアマ問わず全国各地のミュージシャンが参加する音楽コンテスト「軽井沢ラヴソング・アウォード2004(同実行委主催)」にオリジナル曲『☆(ほし)に願いを』を初出品し、応募総数487曲の中から本選出場15曲に選ばれた。
2004年8月20日付の釧路新聞では、長野県軽井沢町への出陣前に釧路市役所を訪れ、伊東良孝市長(当時)の激励を受けたと記事を掲載。
目黒さんは「第一線の音楽関係者の前で、全国の代表として歌えるだけでも幸せ」と話した。
釧路の期待を背に、軽井沢へ
軽井沢町にはヒートボイスのほか、ファン有志でつくる応援団も同行した。
「霧の街のエース」「ガンバレー!」「釧路の星を全国の星に」などと書かれた1㍍四方の寄せ書きを携えて乗り込んだ。
伊藤さんは当時について、
「周囲の期待も大きく、全国切符を手にしただけなのに、表彰台、ひょっとすると、優勝できるのではないかという気持ちもありました。若かった」と語った。

グランプリコンサート、手応えの先に
軽井沢ラヴソング・アウォードのメインイベントは、本選に駒を進めた15曲を制作したミュージシャンが審査員と聴衆を前に歌うグランプリコンサート。
9月26日、緑豊かな野外ステージであるベルデ軽井沢の審査員席には、ヒット曲を飛ばす音楽プロデューサーやマスコミ関係者らが座った。
とりわけ、「恋のバカンス」や「宇宙戦艦ヤマト」の作曲家で“和製ポップスの父”としても有名な宮川泰氏は抜群の存在感だ。音楽会の重鎮を前に萎縮するミュージシャンもいたほどである。
ヒートボイスは、心地よい緊張感を味方に「☆に願いを」を熱唱した。釧路を拠点にステージイベントを手掛けてきた経験が生きた。
歌い終わるや、場内から温かい拍手が送られた。
一曲入魂2分30秒。手応え十分。目の前にいる宮川氏の表情も悪くない。
審査員の評価を待った。
静寂を破ったのは、ホリプロ・シニアプロデューサーの松林天平氏の指摘だった。
「2番はないのか」と。
「もうちょっと、聞きたかった」
松林氏は、ワーナーパイオニア時代にクイーンやイーグルスなど、ホリプロでは和田アキ子や石川さゆりなどを担当する敏腕プロデューサー。出演者に率直な物言いをして震え上がらせていた。
ヒートボイスには「いいんですけど、余韻にひたりたかった。もうちょっと、聞きたかった」と激励とも批判とも受け取れる意見を述べた。
さらに、今後のためにも「4分半の曲を作りなさい」と強く助言した。

短い曲へのこだわりと、痛烈な宿題
ヒートボイスは1995年の結成以来キャッチーな楽曲づくりを続け、ちょうど初期のザ・ビートルズのように曲の長さを2分ほどでまとめていた。
伊藤さんは「長けりゃいいってものじゃない、と信じていた。松林さんの批評を聞いて『自分たちは間違っていたのか』と、ショックだった」と振り返った。
審査結果は、7位にあたる協賛会社「特別賞」。胸を張って帰釧するにふさわしい好成績を収めたはずだが、表彰式に臨む2人に笑顔はない。
すでに、来年を見据えていた。課された宿題に答えるために。(編集部:山本雅之)

次回は7月10日に掲載の予定です。




