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公開:2026/06/26 更新:2026/07/20

マチナカ観光・釧路市中心街「ご当地銅像」巡り

旅行の目的、旅の思い出に「銅像、ブロンズ像を撮る」

各地で見かける銅像やブロンズ像。著名な彫刻家の手によるものが多く、芸術としての評価が高い作品も少なくない。特に、その土地の顔と言うべき、実在の人物を顕彰する“ご当地銅像”は、まちを知る入り口として最適で、記念撮影スポットにもなっている。

釧路市中心街では、幣舞橋にある4体の乙女像「道東の四季」をはじめ、北大通、繁華街末広に表情豊かなヒトの像が立っている。
文化の香りが漂い、生活の息吹も感じられるものが中心だが、歴史上の人物や偉人が題材という立像も3体あるという。
釧路市民であれば、直感的に、明治時代に活躍した歌人が思いつくが「あと、2人は誰だろうか?」。
筆者の友人で、釧路好き・お絵描きが得意なDOKUさんに聞いてみたが分からない。
これはぜひ実地で巡ってみようと散歩のテーマとして出掛けることにした。

6月19日、晴れ。まずは北海道の名付け親

釧路市役所防災庁舎前広場で、DOKUさんと待ち合わせ。午後1時に出発し、釧路フィッシャーマンズワーフMOOを通り、幣舞橋をわたり、出世坂を上りきった。

幣舞公園に到着し、花時計の上辺にある小さな公園に、ご当地銅像「松浦武四郎蝦夷地探検像」がある。
松浦武四郎は、江戸時代末期から明治にかけての探検家で、6回にわたって蝦夷地を調査し、アイヌ民族の人権を守るためにも奮闘した。「北海道」「釧路」の名付け親でもあり、釧路には3回訪れ、「久摺日誌」をつづっている。

松浦武四郎蝦夷地探検像。緑が濃くて、視界が狭い

クスリ酋長メンカクシの案内を受ける武四郎という構図で、阿寒国立公園観光協会が、安政5年(1858年)の探査から百年目にあたる、1958年に建立した。

釧路漁業の父は存命中に建立

富士見坂に向かってほどなく、ご当地銅像「嵯峨久君寿像 頌徳碑」がある。
“釧路漁業の父”と言われる嵯峨久は、漁船の動力近代化、共同市場の開設、漁港の建設などに力を尽くした。釧路発動機漁船組合が昭和5年(1930年)に建立。当時、存命中だったため「君寿像」とある。

初代像は第二次大戦で溶かされて供出されたが、戦後、漁業関係者の要望が上がり、昭和36年(1961年)に二代目像が再建された。双眼鏡を手にした背広姿は、港湾の功労者にふさわしい。台座にある「頌徳碑」には「北海道知事 町村金五書」の揮毫(きごう)がある。

嵯峨久君寿像。葉っぱで覆われて顔が見えない

松浦武四郎、嵯峨久の両銅像を回って、DOKUさんは「知らなかった。こんなところに、立派な偉人がいたなんて」と関心しきりで、釧路の歴史にいっそう興味を持った様子。半面、両像とも幣舞の丘に建ち、釧路を見下ろす好立地にあるにもかかわらず、整備が行き届いていない。

特に、嵯峨久君寿像は枝ぶりのいい木が邪魔で、表情が分からない状態だ。「葉っぱが落ちたら、また、来ます」とその場を離れた。

最後は釧路で超有名人のアノ人

ロータリー交差点を経由して港文館へ。釧路川に背を向けて建つのは、ご存じ、漂白の詩人、石川啄木の銅像だ。明治41年(1908年)1月21日から76日間、記者として釧路で働いていた縁で、歌碑とともにある。
昭和47年(1972年)鉄道百年・釧路市制50年を記念して、旧釧路停車場跡に建立されたものが、平成5年(1993年)に現在地に移設された。
DOKUさんは「観光地で一緒に撮りたくなる銅像ですね。港文館は休憩もできて便利」と感想を語った。

港文館に並んで建つ石川啄木像

釧路市役所前に戻るまでの距離は約3㌔。所要時間は1時間~1時間30分。観光客の朝食前の散策、市民にとっては日中の散歩にちょうどよい。

釧路と関わりの深い3人を訪ねて、それぞれの足跡を辿る。まち歩きのアイデアとしてどうぞ。(編集部:山本雅之)

釧路川に映るフィッシャーマンズワーフMOO(作画DOKUさん、撮影山本雅之)

フィールドデータ

▽道程
釧路市役所防災庁舎前庭
→幣舞公園、松浦武四郎蝦夷地探検像
→富士見坂、嵯峨久君寿像
→港文館、石川啄木像・歌碑
▽距離 約3㌔
▽所要時間 1時間~1時間30分

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