伝えたい「蔵」の記憶(88)仮橋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.6.30
橋の幅を広げた3代目幣舞橋が大正4年に完成しますが、3代目幣舞橋の時代は、大正6年に釧路駅が現在の場所に新築移転し、道東の交通拠点として、釧路の発展は目覚ましく市街地を拡大しています。大正9年の記録的な釧路川の大洪水に耐え、新市街地の橋北と中心市街地の橋南交流は活発で、南北を結ぶ交通の要として幣舞橋が釧路の発展を支えています。
大正8年7月9日の釧路新聞に「幣舞改善問題」、大正11年2月30日「幣舞橋鉄橋計画」の記事が掲載されています。当時の人口動向を見ますと、大正4年の人口2万8964人、市制が施行された大正11年の人口は4万2673人と147%の急増です。釧路に区制、市制が施行され、大正12年幣舞町に市役所庁舎が落成し、新しい都市計画の実施が議論されています。幣舞橋も人、馬車の交通量が増し、全道一の交通量で、木橋の耐久性に不安の声が新聞記事に掲載されています。
幣舞橋改築について、「大正11年1月21日、釧路町時代から希望していた鉄橋の時期に到達したと認められ決定を見るに至れり。改築の経緯は、釧路市街の発展と鉄道の増延長、奥地開拓と道路網の拡張などにより幣舞橋の橋梁幅が狭くなり、交通を緩和しなければ釧路の発展の障害になる」と、幣舞橋改築工事概況に記載されています。

幣舞橋仮橋架橋は、大正13年3月に竣工しました。場所は、停車場通と呼ばれた、現北大通の西側の裏通りに架設されました。仮橋架橋は、釧路発展の新たな夢を釧路市民に与えた記憶です。



