その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(87)3代目幣舞橋

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.6.23

 2代目幣舞橋は、自然の猛威により橋体が傾き危険な状況で、補修も不可能になります。活況を呈する釧路では、橋の幅が狭く人馬車の行き違いも危険な状況のため改築を決め、大正4年3月に長さ201.6㍍、幅7.2㍍の3代目幣舞橋が竣工します。

 橋の長さは変わりませんが幅が広がり、人馬車の行き違いは解決し、主要交通路として発展する釧路を支えます。橋の工事は大正3年12月24日に落札が決まり、基礎工事は釧路川の結氷期に行い90日間で竣工します。厳冬期の困難な工事に挑戦し予定通り完成しますが、いかに橋が人々の生活に必要であるかを物語っています。

 3代目幣舞橋の時代は、第1次世界大戦の好景気、大正6年の根室線開通により、釧路駅が現在地に新築移転、旧釧路駅は浜釧路駅と改称して貨物専用駅になります。十勝の雑穀集散、根室線沿いの木材の生産力などを調査し、貨物増加に備えて将来の釧路港の使命を検討しています。

懸案の橋幅を拡大して完成した3代目幣舞橋

 橋北地区の活況が続き大正4年の3代目幣舞橋の絵葉書を見ますと、現在の末広町付近にはモダンな建物も見えます。大正11年の人口は4万2673人に増加し、区制を経て市制が施行され、市制の年に摂政東宮殿下の行啓を5万人の釧路市民が歓迎しています。

 大正9年には、未曽有の洪水の被害を受けますが幣舞橋は無事でした。木材業が大打撃を被りますが、釧路川の治水対策がすぐに計画実施され、次代の釧路の都市計画の基礎を築きました。

 3代目幣舞橋は、急成長を遂げる道東の拠点都市釧路の次代の役割を記憶している橋です。

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