その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(86)2代目幣舞橋

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.6.16

 初代幣舞橋は、明治42年に落橋しますが、明治42年11月3日の天長節(天皇誕生日)に2代目幣舞橋が完成し渡り初めをします。押し寄せる群衆はあたかも潮の湧くが如く集まり、近来まれなき人出なりと、見物客の様子を釧路新聞が報道しています。

 橋の長さは203.4㍍、幅は4.5㍍で幅が初代より少し広がりました。構造は、木材を組み合わせた簡易トラフという近代モダンを感じさせるデザインです。しかし、自然災害により寿命は短く6年でした。

 明治から大正へ時代を経た2代目幣舞橋の時代の釧路は、たくましい開拓時代を経て、新しい文化受け入れ、新しい躍進をしています。文明のシンボルともいえる電灯が明治42年にともり、電話の交換業務が開始されました。明治44年9月4日の皇太子殿下(大正天皇)行啓、公会堂の完成と、釧路町民は喜びとともに新しい時代を迎えようとしています。

 2代目幣舞橋と釧路川右岸を見ますと、人家が幣舞橋の上流まで広がり、交通の要の役割を果たす幣舞橋が、橋南と橋北の交流を盛んにして、西幣舞の市街地が拡大しています。

木材を組み合わせ近代モダンを感じさせるデザインの2代目幣舞橋

 釧路川に架けられた橋は、自然災害の被害を受けています。2代目幣舞橋は、釧路の奥地開発により大水が出ると、無数の流木が橋脚につながり堆積して、橋脚を危くすることが度々あり、大正2年の寒波では結氷の厚さが2尺になり、橋脚が浮上、大正3年の暖冬では、長さ150間、幅60間の大流氷が襲来、衝突により落橋(釧路市史)と、幣舞橋には先人の自然との闘いの記憶が受け継がれています。

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