その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(85)幣舞橋補修

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.6.2

 木の橋初代幣舞橋は、明治33年から明治42年までの9年間を釧路川の結氷、増水などの厳しい自然に耐えながら、釧路の発展を支えていました。明治41年1月21日の夜、雪が5寸ばかり積もった釧路駅に啄木が降りました。駅から、暗い夜道を歩いて西幣舞通り(現北大通)に出、初代幣舞橋を渡り、浦見町の佐藤国司宅に着きます。

 当時の釧路は人口が急増し活気のある街でしたが、啄木は、厳寒の夜道を提灯のあかりで、さいはての寂しい街で渡った初代幣舞橋の様子を詩で伝えています。

幣舞橋

傾きかけしあやうさに
行き来の人等かく思う
三月とざせる川氷
とけなばやがて彼の橋のくづれ落つ可き時こんと
されど官吏も商人も
はた馬、車、馬橇さへ
そしらぬ顔に行き交ひて
見よ彼の橋の日をまた夜
ながれに舟は下過ぐる
柱歪みて欄よれて
老いてみにくく横たはる
悲しきさだめ 自づから
渡ればなげくきしきしと
彼の幅狭の長き橋
(釧路新聞 明治41年3月27日 詞壇夢みる人)

 釧路の交通動脈の幣舞橋が、厳冬の寒さに耐え、柱は歪み、傾き、渡ればきしむ全道一の長い木造の頼りない橋の様子を伝えています。啄木の詩が掲載されてから間もない明治41年4月8日の釧路新聞に、幣舞橋は腐朽がひどく通行にも危険で、改築の時期が来ているが、それまで相当の補修が必要の記事が掲載されています。

平成12年に開館した加賀家文書館の資料展示の様子

 啄木の詩は、当時の釧路町民の老朽した幣舞橋への思いの記憶を伝えています。啄木離釧の翌年、明治42年に2代目幣舞橋が架橋します。

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