その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(81)幣舞橋と筏

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.5.5

 釧路市街の中心を流れる釧路川と幣舞橋は、釧路市民の自慢の光景です。日頃なにげなく渡る橋ですが、橋は道路、鉄道、水路などの交通路と連絡をして、人、物資の交流と人々の生活を支えています。

 現在の釧路川には、河口から、釧路市民の文化を伝える幣舞橋、釧路の始まりと産業を伝える久寿里橋、車時代の到来と市街地拡大を伝える旭橋、貝塚大橋が架橋され、それぞれの橋に釧路市民の思いが伝えられています。

 釧路川の架橋は、開拓時代の中心市街地真砂町と対岸の西幣舞、鳥取村を結ぶ交通の要でした。先人の架橋への願望は、新天地での開拓の夢の実現の為に自然の猛威と闘う先人の歴史を伝えています。釧路川に最初に架けられた橋は、北海道で一番長い橋といわれた愛北橋です。明治22年の架橋で、釧路川に橋が架けられて今年で124年になります。

 当時の釧路川は、上流に阿寒川、雪裡川、別保川などが流れ込み、今では想像もできない広い川幅で原始の姿をとどめる大河でした。機械力の無い時代にどのような架橋工事に挑戦をしたのか想像もできません。明治29年の水害により愛北橋は落橋し、渡船の利用を経て明治33年初代幣舞橋が架橋し、現在の5代目幣舞橋まで街の移り変わりを記憶しています。

釧路川の幣舞橋をくぐる丸太の筏。昔ながらの風景

 釧路川を丸太の筏(いかだ)が、タグボートに曳かれて幣舞橋の下を通り上流へ向かうのどかな光景ですが、木処釧路の時代には、上流から竿師に操られた筏が幣舞橋を通過していました。釧路川に架橋された橋は架橋された時代を記憶し、次代へ伝えています。

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