伝えたい「蔵」の記憶(80)釧路川蛇行
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.4.28
釧路湿原をゆっくり蛇行している釧路川の流れは、訪れる多くの観光客を魅了していますが、原始林を開拓した先人の記憶も伝えています。
釧路川について、市制30周年記念事業で発刊の釧路市史の巻頭の中で、高倉新一郎教授は、釧路の繁栄を支えたのは、石炭、釧路川、港で、釧路川は豊富な鮭が先住民を栄えさせ、和人の根拠地となり、千島への要衝標津への要、明治以降の硫黄搬出、木材集散地と釧路発展を支えたと釧路川の役割を記述しています。
釧路川は、アイヌ語でクスリ川と呼ばれ、釧路の語源になっていますが、川沿いには、先人が大地の開拓に挑戦をした往時の生活の記憶が残されていますが、その記憶をたどりますと、非常に大規模で後世へ夢を伝えています。
釧路川は、釧路の産業の発展を支えていますが、自然災害の被害も発生しています。先人は、大正9年の大洪水により、釧路川の治水対策を実施します。釧路川の岩保木に水門を設置して分水をし、新釧路川を開削し直接太平洋へ流す工事です。湿地を開削する難工事を克服し昭和5年10月1日に新川に水を流しました。その後、洪水への不安は消え、釧路港の築港計画も進められ、新水路沿岸一帯の開拓を促進しました。このような釧路川への先人の決断が、往時の葦原に、ショッピングセンター、住宅街、公園を誕生させ、釧路の新しい街づくりを支えています。

釧路川は、人々の生活の記憶を残していますが、原始の姿を残す釧路湿原の自然と釧路川の記憶を次世代へ伝える自然の記憶を創造しています。



