伝えたい「蔵」の記憶(79)柳町公園
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.4.21
釧路川の流れは、先人が自然への挑戦をした姿を記憶し、今へ伝えています。
大正9年8月10日よりの未曾有の大雨により、釧路川が氾濫をして釧路市街は大洪水に襲われます。其の対策として、大正10年に釧路川は岩保木から開削された新釧路川を通して海へ流す治水工事が開始され、昭和6年9月19日に新釧路川に通水します。治水事業の完成により、釧路川から釧路港への土砂の流入、洪水の被害が無くなりました。
釧路市史に、昭和8年釧路川、新釧路川間の運河掘削工事始ると記載されています。釧路市役所、商工会議所、木材組合の要望により、釧路川より新釧路川に至る旧阿寒川の河跡の整理と木材の流送が出来る運河を掘削する工事、「旧阿寒川大排水路事業」と呼ばれ、通称柳町運河が着工しますが、大排水路掘削工事が全て終了しないうちに、木材の輸送は鉄道輸送が主流となった為に終熄します。工事は中断され、運河としての機能を果たせなかったとようです。

写真は、根室本線鉄橋の上流で、木材の流送が盛んな時代には、釧路川、阿寒川から流送された木材の筏が溢れ、阿寒太、茂尻矢と呼ばれていました、今は釧路川右岸河岸に、阿寒川と運河の記憶を伝える川岸と柳町公園が見えます。先人達が、新釧路川から釧路川へ木材の流送の夢を託した運河の跡地には、市民が憩う、文化会館、柳町公園が設置されています。
運河の跡地は、自然に挑戦した先人の夢と釧路川の記憶を、自然を大切にする文化施設に伝えています。



