伝えたい「蔵」の記憶(78)阿寒太
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.4.7
阿寒太(アカブト)。アイヌ語で阿寒川の川口の意味の地名が、旭橋の上流の釧路川右岸にあった地名で、今では阿寒太を覚えている市民も少なくなりましたが、釧路川へ阿寒川が合流していた時代の釧路川の原始の姿を伝える地名です。
明治30年ごろの地図を見ますと、阿寒川が激しく蛇行しながら釧路川に合流し、川口には中州があり、阿寒川は暴れ川のようです。釧路川右岸の古川町の命名について、昭和7年の字地番改正の中で、旧名阿寒太(夷名阿寒川の川口の義)は、旧阿寒川の廃川があるのに因み、古川町と命名すると記載され、昭和初期にも阿寒川蛇行の名残が見られたようです。

釧路川の治水工事以前は、阿寒川は阿寒太で釧路川に合流し、釧路川と阿寒川の水運は、木材の流送により釧路の発展に大きな役割を果たしますが、川の氾濫による被害、川が運ぶ大量土砂の釧路港への流入もあり、釧路港の修築工事と並行して釧路川の治水対策が実施されています。
阿寒川を釧路川から切り離して直接海へ注ぐ治水工事が大正3年に着工し、大正6年に通水し阿寒新川と呼ばれました。大正9年に釧路地方を襲った記録的な大雨により、釧路川、阿寒川が氾濫して釧路市街は大洪水に襲われます。そのために釧路川の治水対策として新釧路川が開削されます。阿寒川は大正9年の氾濫により流路が大楽毛川に合流して、現在に至っています。
阿寒太の地名は、先人の自然への挑戦と自然の力を記憶しています。阿寒太の記憶は古川町、中島町に受け継がれています。



