その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(77)

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.3.11

 幣舞橋から釧路川の上流を眺めると、河岸は整備されて公園と散策路が見え、市民の憩い場ですが、川岸には釧路の発展を支えた多くの記憶が残されています。昭和7年に実施された町名改正の実施により命名された材木町は、町名に釧路川の記憶を伝えています。

昔は大量の木材の集積所となっていた釧路川左岸の材木町周辺の現在

 釧路郷土史考に、旧茂尻矢の一部で、釧路川左岸に沿って延び、木材の貯蔵に利用され、将来ますます木材関係に利用多きにちなみ材木町と命名すると記載されています。茂尻矢は、幣舞橋上流の釧路川左岸の町で、釧路川の水運により明治時代より軸木工場、製材、造船等が並び釧路の木材産業発祥の町です。

 昭和6年の釧路案内を見ますと、釧路の工業の様子について、当市の工業はまだ原始の姿を脱していないが、市内各所に製材工場続出し、製材及び函材の生産が好調と記載され、釧路川河口の枕木の山積みなど、木処と呼ばれた釧路を紹介しています。

 釧路の木材産業を支えた、造材業者、流送夫、木挽、製材工場、運送業者の多くが住んでいたのが材木町です。材木町には、釧路川の水運と上流の森林資源、「木」に生きる大分県日田の出身者が、川べり街を第2の故郷と定めて移住したなど、釧路の黎明期の釧路川、木材と奥地開拓の記憶を町名が伝えています。

 今は静かな住宅街ですが、川岸の三ッ輪の土場に積まれた丸太の山、長谷川製材工場の騒音、川のいかだ、臨港鉄道、トラックで運ばれる丸太、職人の住む長屋などの光景が昭和30年代初めまで見られ、釧路川の水運の役割を伝えていました。

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