その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(76)左岸埋め立て

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.3.24

 釧路川の幣舞橋から河口までの左岸は、整備された岸壁、港文館、水産会社、漁船の係留が見られ、入舟町が明治以降釧路の漁業の中心であったことを伝えています。明治初期には釧路川河口左岸から対岸の頓化へ河口を塞ぐように延びたオダイトと呼ばれた砂州がありましたが、今では全く面影はありません。

 明治時代からの埋立工事により川岸が変わりました。釧路川左岸の埋め立ては、明治22年初代郡長の宮本郡長が7000坪の埋め立てを実施しています。釧路町時代に、町の基本財産造成と釧路川改修を兼ねて、埋立面積3万5269坪、真砂町、洲崎町、幣舞町に接する河岸の埋め立てを明治33年に着工、明治36年竣工し、埋立地を入舟町としました。釧路川の埋立位置図を見ますと、大事業ですがその後、入舟岸壁の整備、川口の浚渫(しゅんせつ)などが実施されて、入舟町は川口漁港の役割を果たし、釧路の漁業の中心の街となります。

埋め立て事業で誕生した入舟町の造成計画

 埋立地には明治40年代、魚市場、当時の釧路としては画期的な機械乾燥機を備えた鈴木水産加工工場の稼働、マグロの流し網と機船底引き時代に入り、昭和2―5年のマグロ漁業の全盛時代を迎えます(釧路叢書釧路港)。昭和7年ごろの地図を見ますと、入舟町は、釧路を代表する山部造船所、茅野鉄工場、漁業の嵯峨商店、川合商店、マグロで活況を呈した共同魚采市場と水産加工などの漁業街です。

 当時の釧路は真砂町の商店街、銀行、郵便局、新聞社、商社が並ぶ洲崎町、漁業の入舟町が釧路経済の中心です。釧路川左岸の埋め立ては、今も先人の思いを伝えています。

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