その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(75)釧路川の流送

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.3.17

 釧路川は、明治、大正と昭和の鉄道輸送が本格化するまでは、木材の集散地釧路へ木材を輸送する主役を務めています。

 大正7年の統計では、道内の木材生産の64%を北見、十勝、釧路で占め、各地から不凍の釧路港に木材を集め、国内外へ移輸出する「木処釧路」が誕生します。木材産地の成立条件は、流送条件の良い大河、河川と鉄道連携、河川の下流に不凍港を持つ(釧路産業史)など、釧路川が産地成立の重要な役割を果たしています。

釧路川を悠々と下っている大正5年の木材の流送光景

 写真は、大正5年の釧路川を悠々と下っている木材の流送光景ですが、釧路川流域の原始林の開拓に取り組んだ先人の思いと、釧路川が開拓に果たした役割を伝えています。釧路川流域の木材の切り出しは、木材の流送条件に恵まれた内陸流域の森林から始められています。

 明治20年代から明治末期には、釧路川下流の別保川流域、オビラシケ、鳥通で本格的な伐採が行われ、前田製紙、富士製紙への原木供給地でした。明治から大正時代には、雪裡、塘路の釧路川中流域、大正から昭和初期は、弟子屈の御用林と屈斜路湖畔の釧路川上流域と、釧路川の源流の屈斜路湖へ達し、釧路川の流送が流域の木材資源の開発を可能にしています。

 木材の流通には、未開の原始林を伐採して、河畔に原木を集める集材、原木を流送する運材を経ます。運材の流送は危険で困難な作業のため、高度の技術を持った大分県日田、四国吉野川、飛騨地方などの移住者により行われ、釧路川流域には流送とそれに携わった人たちの記憶が残されています。

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