伝えたい「蔵」の記憶(71)前田製紙
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.2.17
明治33年釧路川流域の釧路町天寧(てんねる)に釧路の近代産業が芽生えました。阿寒の父と呼ばれた前田正名が設立した北海道で最初の製紙工場、前田製紙合名会社の操業が始まりました。工場の敷地面積は1万2000坪、製紙工場、事務所、倉庫を備え、工場の機械や自家発電機は全て汽船で運ばれ組み立てられました。
工場の立地の要因は釧路川流域、阿寒川流域の豊富な針葉樹林と釧路川、雪裡川、阿寒川の河川を利用した木材の搬入と工場用水の確保、製品の釧路港から本州への汽船輸送、労働力の確保、自家発電の石炭の確保、釧路から十勝への鉄道施設などでした。(釧路産業史より)
原始の姿をとどめる未開の釧路湿原の東を流れる釧路川流域で、近代的な機械を備え、煙が上がる大きな煙突、夜間に輝く電灯、100人余の工員が働く製紙工場の出現は当時の人々には異様な光景に見えたかもしれませんが、釧路川の水利が生み出した近代産業です。
前田製紙合名会社の操業は1年余りで終わりますが、その後の経営は北海紙料、富士製紙に引き継がれ、大正2年工場が全焼するまで天寧で操業しています。工場焼失後、大正9年に鳥取村に富士製紙釧路工場が新設され、操業が始まり紙パルプの生産が再開されます。紙パルプの生産は釧路の基幹産業となり現在の日本製紙に受け継がれています。

前田製紙の操業と釧路川の恵みは、未開の大地開拓に夢と希望を持つ先人に夢を与え、未開の釧路に近代産業の芽を育み、躍進釧路の原動力となります。



