伝えたい「蔵」の記憶(69)岩保木水門
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.2.3
釧路川は、奥地開拓の入植者、硫黄、木材の輸送など、釧路港と上流地域の交流に大きな役割を果たし、川沿いに多くの記憶を残しています。写真の釧路川をせき止める岩保木水門は、自然と闘う先人の記憶を伝えています。
釧路港は、東北海道の重要港として明治42年修築予算案が決まり修築工事が進められますが、釧路川が港内へ運ぶ土砂が港域拡大の課題でした。課題解決のために釧路川治水工事として、大正3年から6年にかけて、釧路川に流入する阿寒川を釧路川から切り離す工事が行われていますが、大正9年に記録的な大洪水により釧路川により運ばれた土砂が築港中の港を埋め尽くしました。そのために釧路港修築計画修正と岩保木から直線で12㌔の水路を開削して、釧路川の水を港を避けて直接太平洋へ流出させる釧路川治水計画が実行されました。
大正9年8月6日から12日までの大雨による大洪水の様子は、釧路川が氾濫して釧路市街は高台を除くほとんどが1週間も水に浸かる惨事が記録されています。岩保木(アイヌ語イワ・ポキ、山の下)水門は、釧路川の流れを切り替えて人工河川の新釧路川へ流路を変えるための水門です。
釧路川の治水工事は大正10年に始められ昭和6年9月に、新釧路川へ通水が開始されますが、湿原の泥炭を掘削する水路開削工事は難工事が続き、これに挑戦した先人の苦闘が新水路を完成させています。新水路の完成によりその後の釧路には洪水の記録はありません。岩保木水門は釧路川の自然の猛威と釧路川の治水に挑戦した先人の活力を記憶しています。




