伝えたい「蔵」の記憶(68)塘路駅逓
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.1.27
釧路の黎明期、原始林に覆われた釧路川の上流奥地開拓が始まった時代、釧路川沿いの塘路は釧路と標茶を結ぶ交通の要所で、駅逓が設置され、にぎわう集落でした。
駅逓は北海道の開拓使時代から北海道の開拓を支えた半官半民の制度で、人馬継立、宿泊、貨物運送、郵便の取り扱いをし、人、物、情報の交流に重要な役割を果たしています。
塘路の駅逓は、釧路川上流の川湯の硫黄鉱山の開発と標茶の釧路集治監開庁により、釧路標茶間の交通が頻繁となりますが、釧路川のひき舟では約3日もかかるため中間駅が必要となり設けられました。(釧路叢書釧路川)
塘路の駅逓は明治23年6月に開設され、昭和2年の釧網線釧路標茶間の開通した翌年の昭和3年閉鎖されます。明治初期の釧路では、明治22年囚人労働により標茶釧路間の道路が開通し、陸路により標茶と交流が始まります、明治23年には釧路港が特別輸出港に指定され、釧路と海外がつながりはじめ、黎明期の釧路躍進を迎えようとしています。
塘路は、釧路川水運と水路網の要に加えて道路が開設されたために奥地開拓が進み、交通が頻繁となり、釧路と奥地を結ぶ塘路には商店、旅館、待合所等が集まるにぎやかな街でした。開拓を支えた駅逓の建物は、明治17年に漁業番屋として建てられ、その後駅逓として使われています。

建物は、家主自らが釧路川の流木で建て、梁は太いヤチダモを使う丸太組です。駅逓の太い梁は、流木が流れる釧路川の原始の姿と、川の浚渫(しゅんせつ)に取り組む囚人労働者の困難な作業や、にぎわう塘路の記憶を伝えています。



