伝えたい「蔵」の記憶(67)標茶発祥の地
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.1.20
塘路駅は、夏の湿原ノロッコ号と冬の湿原号の運行シーズンには、全国からの観光客でにぎわいます。近くの塘路湖畔は旧釧路集治監(明治18年築)を修復した標茶町郷土館、釧路湿原の情報を発信するエコミュージアムセンター、カヌーステーション、キャンプ場と自然豊かな光景です。明治の記憶を伝える郷土館の側に、明治初期の釧路川と塘路の記憶を伝える「標茶町発祥之地の碑」があります。

塘路は、アイヌ語で「湖沼のある所」を意味する地名です。食料が豊かで、釧路川、阿歴内川、コッタロ川と水路網の要として往時よりアイヌコタンがあり、明治17年7月29日に塘路を視察した安場保和の日記に、土人24戸、人口133人(標茶町史)と記録されています。
明治18年6月25日に、釧路川上郡熊牛村(熊牛、弟子屈、屈斜路、虹別、塘路)へ戸長役場が設置されますが、一時的に大きな集落の塘路村に設置された記憶が、「標茶町発祥の地の碑」です。釧路集治監が熊牛村(標茶)に開庁されるまでは、釧路川上流の最大の集落です。
集治監建設の木材がアレキナイ川から塘路湖に流送され、製材し釧路川をさかのぼり標茶へ輸送されています。塘路には作業に従事する人夫が各地から集まり、集治監職員、商人等も集まり、柾工だけでも120人に達するという大集落が塘路湖畔に誕生しています。
釧路川の水運と塘路は、釧路集治監、安田の硫黄、奥地開拓などの輸送基地として、昭和6年の釧網線開通まで大きな役割を果たし、先人の活躍の記憶が釧路川河畔と塘路湖畔に残されています。



